なぜ、ここまで熱心に伝えることになったのか?
ブログを書き始めるタイミングで、自分の氣もちを分析してみました。

ひとつは、自分がやりたいから。
この年になってようやく人生の意味が分かってきたように思います。
それは、まず自分が楽しいと感じる日々を過ごすこと、
そして、その日々に利他的な心が伴うこと、
つまり、全てのものと共存している宇宙の理を知ること、
自分が楽しみ、それが利他につながれば、それは素晴らしいことです。

もうひとつは、将来世代のため。
ぼくには、娘が一人います。
彼女の生きる将来をより良きものとしたい氣もちは、とてもあります。
しかし、そこにとどまっている想いでは足りないと思うようになりました。
自分の家族は大切だけれど他者も大切に思わないと、この世は殺伐としたものになります。
それが限界まで来てしまったのが現状の社会ではないでしょうか。
幸いにして、ぼくと同じような考えをもつ人が増えています。
まだ見知らぬ人も含めて、ものすごく増えていると感じます。これは良き兆候だと思います。
ぼくは、こうした人々と繋がって、より良き世にしてゆきたいと考えています。

ネイティブは、7世代先のことを考えて物事を判断したといいます。ぼくには、とても共感できる逸話です。
日本人も、明治維新前はそうした考え方があったように思うのです。
行き詰まりがはっきりしてきた強欲な資本主義の元では、けっして大多数の人々は幸せになれないでしょう。
我々は、自分たちを支えてくれている自然をもっと知り、彼らと共存する持続可能な社会を目指すべきだと思います。それが、今を生きるおとなの務めではないでしょうか。
(ネイティブ・アメリカンと書かなかったのは、その血を引く人に尋ねたことがあるからです。
応えは、ただ「ネイティブ」と呼んででした。)